脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

言い訳王

言い訳のための言い訳

理屈が立たなくても、とにかく言い訳をする人というのは、いて、うちの母なんかは、その典型なのだが、まったく言い訳になっていなくても、とにかく、脊髄反射で、なんか言う。
そんなわけのわからないことを言うくらいなら、何も言わなければいいのにと、思うのだが、どうしても、そうなのである。
最近はもう、「こう言えば、ああいう言い訳をするだけだろうな」と、思うから、何も言わなくなった。
そういう人は、言い訳をするだけで、「もともとの原因となった振る舞い」は直さない、のである。
それは、こういう人は、みんなそう。
「直す気はありません」とも、言わないのである。
そして、そういう人は、ほかにも、けっこういるから、いったい、そういう人が、どんだけいるんだろうと、思って、いつも、驚いている。
年齢にも、あんまり関係ないみたいなので、どうなっているのかな、とか思う。

慎太郎の父の壮絶な躾

石原慎太郎の「弟」という本は、以前に、ドラマ化されたのだが、確か、こういうシーンがあったのを覚えている。
兄弟が、何かヘマをやらかして、お父さんに、叱られるのである。
お父さんは、兄の慎太郎だけに、激しい連続ビンタを、食らわせる。
そして、渡哲也演じるお父さんは、こう言うのである。
「おまえを殴ったのは、言い訳をしたからだ」
悪さをしたことについてではなく、言い訳をしたことがいけないから、体で覚えさせたんだ、と言うのである。
この話は、たぶん、実話なんだろうな、という気がする。
「何があっても、絶対に、言い訳をしてはいけない」というのが、そのお父さんの、教えだったのである。
だからまあ、慎太郎が1932年生まれだから、戦前戦中の感覚では、「言い訳はとにかくいけない」というのが、普通だったのではないのだろうか。
しかし、そのお父さんの教えは、今では、すっかり、忘れられているようである…。
とにかくまあ、石原慎太郎の父は、あの世で息子に会ったときは、また、お仕置きのビンタを、しなければならないであろう。

亡父

うちの父は、特に立派な人だったというわけではないが、やはり、「言い訳」は、していなかったように思う。
特に、「言い訳をするための言い訳」というのは、なかったんじゃないか、という気がする。
ここらへんは、母とは、大きく違うわけで、性別の問題なのかどうかは、わからない。
父は、「言い訳をするな」というふうに、子供に教えたわけではない。
が、考えてみると、「とにかく、言い訳のための言い訳をする」というのは、よくない、とか、見苦しいというふうに、いつのまにか、思うようになっていた。

文化が変わった?

最近は、自分よりも、年配の人、しかも、立派なはずの人が、「言い訳のための言い訳」を、次から次へと、連発していたりするので、かなり驚くのだが、そういう人が、特に嫌われないとか、それで通用しているというところを見ると、もしかすると、「文化」というのも、変わってきたのかもしれない。
アメリカ人なんかは、そういう文化だから、言い訳をしないと損だとか、どうせ自分もやるから、言い訳に終始する人を、なんとも思わないとか、そういう感じだが、われわれも、だんだん、そういうふうに、なっていくのであろうか。