脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

新しいことができない~老いと学習能力~

学習能力がなくなってくる

年を取ると、変化に弱くなる。
個人差はあるけれど、だいたい誰でもそう、若いころと比べたら、新しい何かが疎ましくなる。

「前と同じことをしていたい」

この前、ある人に、
「新しいことを覚える気はない、今後も、前と同じことしか、やる気はない」
と言われ、愕然としたという事件があった。
その人には、加齢以外にも、健康上の理由があるということなので、ご本人は、「そっち」のほうの理由を、強く挙げられていたけれども、どうも私には、そうでもないような気もした。

ヒトの本質には合わない時代

まあ、年を取ってからまで、次々にいろんな新しいことを覚えなければならないというような「状態」は、そもそもが、「ヒトの本質」には、合っていないのである。
そういう状況になったのは、たぶん、人類の歴史でも、そんなに古いことではない。
技術の進歩が止まらないから、ヒトの生活が、どんどん変わる、だから、次々に、新しいことを覚えなければならなくなったのであって、「その前」は、ずーっとずーっと長いこと、「そうではなかった」はずなのである。
ヒトというのは、本当は、年を取れば取るほど、生きるのに「慣れて」いるわけだから、生きることがラクになっているはずで、ゆえに、「少ない労力で生きられるようになっている」というのが、本来のヒトのありかたなのである。
しかし、最近では、そうではなくなってしまった。
だから、ヒトの能力のほうが、ついていけなくなったのである。
それは当たり前で、生き物の能力というのは、数十年や数百年という単位では、変わるものではないから、である。

例外は、例外だから、例外なのである

だから、「ほとんどのヒト」にとっては、生きにくい時代になった、ということで、いいのだと思う。
年を取ってから、数年ごとに、いろんなものの操作方法を覚えたり、新しい行政制度なり、社会の仕組みを覚え、それに慣れるということは、普通の場合には、楽しいわけがなく、苦痛でしかないはずだから、である。
私なんかは、たぶん、その境界上にいるのだろうと思う。
はっきり言ってもう、新しい機器の操作なり、新しいことは、覚えたくない。
社会の制度も、新しくしてほしくない。それを覚えて、慣れるのが、大変だから。
しかし…なんとかして、ついていくしかないと思うから、苦痛だけれども、やる気のあるときに、できそうなものから、やってみて、ひとつできたら、次をやってみる、まあ、そういうふうである。
しかし、そういうこともできないとか、上述の方のように、「そもそもやる気がない」という人は、多いであろう。
個人差はある。
例えば、有名な、溝井喜久子さん、82歳で、パソコンやほかのデバイスを使いこなし、バリバリのネットユーザーであるという。

そういう人も、いるけれど…こういう人が、珍しがられて、有名になるというのは、そういう人が、ほとんどいないから、なのである。