脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

脅迫で送検の「天誅ネトウヨ」が書いた「悲しすぎるブログ」

天誅ネトウヨが脅迫容疑で送検へ

魚拓先をちらっと見たが、脅迫とされたのは、「天誅を加える」とか、そこらへんだったのであろうか。
が、↓によると、

自分のブログに、1960年の日本社会党の浅沼 稲次郎委員長刺殺事件の写真をのせるなどして、有田議員を脅迫した疑い

というふうに書いてあって、それが、有田に恐怖を抱かせた理由とされている。

「自分の存在」を消したい人

こういうブログを見ると、「自分」というものが、どこにもなくて、いかにも「書いた本人が空疎である」ということの証明のようになっているから、気の毒である。
しかしまあ、このネトウヨ氏は、和歌がどうとか、漢詩がどうとか、吉田松陰がどうとか、「自分がリッパそうだと思うもの」を、手当たり次第に集めたという、「せいいっぱいな感じ」が、ひしひしと伝わってくる。

先祖は武士だったのか?

素浪人とか言っても、自分の先祖は、江戸時代までは、百姓だった可能性のほうが、高いのだが、そこらへんは、ちゃんと、家系図を見て、調べたりしたのだろうか。
百姓の子孫が、「素浪人」などと名乗るのは、へそで茶が沸くほど、バカバカしい話なのである。
もちろん、身分制度がよかったということを言いたいのではないし、特権階級に生まれた人の末裔のほうが、偉いと言いたいのではない。
そもそも、過去の日本人の9割以上は、百姓だったのであって、そして、武士よりも下にされて、威張られ、場合によっては切り捨て御免をされていたのに、その人たちの子孫が、「浪人」などと名乗るのは、アホらしいことなのである。
浪人というのが、就職先のない無職の武士階級のことだということすら、よくわかっていない人が多いのではないか、という気もする。
つまり「もともと武士階級の出身でなければ、浪人にもなれない」、のであるが。
ゆえに、百姓が浪人になることがないというのは、当たり前の話であって、その子孫が、「浪人」などと名乗るのは、どこまでバカげた話であるか、そういうことをしていれば、あの世にいる先祖たちが、どう思うのか、一度でも、考えてみたことがあるのかと、私は、そういうことを言っているのである。

そういえば、以前、「なんとか侍」というツイッターアカウントの人に、
「あのー、ちょっとお聞きしますが、あなたの先祖は、武士だったんですか?」
というふうに聞いてみたら、返事が返って来なかったし、アカウント名も、ずっとそのままであった。

「本物」と「せいいっぱいな人」の違い

私は、ここ数年のネット経験でもって、理解したのであるが、ネット上で、過去の文化人の名前を、やたらに出してみるとか、漢詩や、なんらかの句を、しょっちゅう引いたりする人というのは、実は、自分の教養などには、もともと自信がないという人が、ほとんどなのである。
例えばだが、歴史作家で、俳句も詠むというような人は、そういうことをしない。
そういう「本物」は、「この漢詩を見ろ」とか、「この句を見ろ」などとは、やたらには、言わない。
誰かに丁重に教えを乞われたときに、答えるだけ。
または、誰かが、堂々と間違ったことを言っていたら、「そうではない」と、訂正するとか。
そういう人は、「オレは、こんなことも知っている」などと、自慢をする必要が、ないから。
「その人が、そういうことを当然に知っているような教養人である」ということは、誰でも知っているから。
だから、このネトウヨ氏のような人は、「そうじゃない」から、こうなっているんだなと、思って、悲しい気持ちになるのだった。