脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

因果は巡る

因果は巡る

両親は、双方とも、元を辿れば素封家の家の生まれで、特に父のほうは、そうだった。
だから、両親の世代くらいまでは、「戦後の農地改革で、GHQにたっぷりと土地を取られた」と言って、恨んでいたようだが、私自身は、生まれたときから、贅沢の味などは、まったく知らず、質素「以下」の家庭に育ったので、「過去の栄光」などは、知らない。
知らないから、「取られた」というふうな認識は、持っていないし、「アレを取り戻したい」とか、「こんなはずじゃなかったのに」というふうには、思っていない。
「ブイブイ言わせていたころ」を、「知らない」のだから、思わないに決まっている。


逆に、アメリカ人から土地をもらって、ホクホクした家の人というのは、一人も知らない。
そういう人は、「言わない」から、なかなか、わからないのだ。

「豊かな人」から奪ったのは、怖れていた共産主義者ではなかったという現実

先祖が抱え込んできた「財産」を奪ったのは、共産主義者ではなく、その反対のアメリカ人だったのだが、私自身は、そのことについては、恨むという気持ちは、ない。
先祖たちが、なぜだか、土地をたくさん持っていて、そのために、小作人を抱え、奴隷のように見下していたならば、そういうことは、しないほうがいいし、いつか、やめるべきだったのである。
「持っていたころ」を、知らないから、私は、恨んでいない。
父などは、他人を、「小作人の息子だから」と、見下していたことも、あったようだし、祖父などは、それが、もっとひどかったはずなのだが、なぜだか、その血筋の私には、そういう気持ちは、ないのである。
どうしてなのか、わからない。
しかしまあ、自分が、赤貧生活を体験して、ド根性吝嗇男と化していても、いつまでも、相手が小作人の息子だとか、そういうことを言って見下せるというのは、すごい感覚だな、と思う。
三つ子の魂百まで、と。
そういう感覚を持っていた祖父も、父も、もう死んでいるし、私には、確実に、遺伝はしなかったから、そういう悪習は、父の代で「止まった」ということでもって、許してもらいたいものだなあと、思う。

いつかはツケを払うときが来る

ふと考えれば、「今持っているいくばくかのもの」を、取られたくないからといって、なんでも我慢が出来るかとか、目をつぶれるかと言ったら、そうではない。
もしもそれが、「他人を犠牲にして維持しているもの」であるならば、カルマは、いつか、巡ってくる。
自分の代ではないにしても。
私や、私の家族が、「今持っているもの」が、もしも、誰かほかの人たちの犠牲を前提としたものであるならば、それは、いつか、手放すときが、来るのだろう。
例えば、沖縄の人たち。
自分の代でそうなるかどうかは、わからないが、そういうことは、いつまでもは、続けられない。
GHQに土地を奪われた私の先祖たちは、たまたま、「もっと上の先祖たちのツケ」を、払う世代だったということであって、「不当に奪われた」というわけではない。
因果は巡り、そしてそれは、ほとんどの場合、「自分の知らないところ」で、「自分が生まれるずっと前」から、巡っているのである。
そして、「今持っているものを失いたくない」からといって、「何か」に目をつぶるとか、「何か」を我慢すれば、死守ができると、信じている人は、たぶん、「自分の代」では、守り切るのかもしれないが、いつかは、私の先祖と同じように、ツケを払わされるときが、来るのだから、そういうつもりでいるべきなのである。
そして、どんな富も、墓の下には持っていけないし、「執着」というものは、当方の場合がそうだったように、いつかは、「世代替わり」が、解決する問題なのである。