脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

われわれは、劣化して、「悲しい民」になるのだろうか

ヒトは劣化している

生活が便利になればなるほど、ヒトとしての質が下がって、劣化していく。
昔の人は、紙が貴重だったから、毛筆みたいな書きづらい道具でもって、「書き損じ」が少なく書けた。
すごいと思う。
さらに、机の上で書くばかりではなくて、立ったまま、腰から道具を出して、片手に紙を持って、筆でサラサラと書いていたりしたらしい。
すごいと思う。
自分には、とても、そんなことができるとは思わない。
自分のことを考えれば、20年や30年前と比べたら、「肉筆で間違えずに漢字が書ける率」は、低下している。
ワープロを使うようになったころから、「その能力」を、半分以上、捨ててしまったのだ。

堀江貴文

人間は、不便なほうが、質が上がる。
例えば、堀江貴文なんかは、刑務所の中では、何を書いていたのか知らないし、少しはマシなことを書いていたのかどうか、知りたいとも思わないが、少なくとも、シャバでは絶対にできなかったダイエットには、成功している。
不便な環境が、「ヒトとしての能力」を、上げてくれたのである。
が、シャバに出たら、元通り。

悲しい民

「とにかく便利なほうがいいんだ」というのは、建国の事情から「文化」が乏しかったという、アメリカ人の発想であって、「合理性」と「能率」を最高の価値観だと思って、ほかのことは、どうでもいいんだと言って、200年以上、邁進してみたら、今では、「あんな悲しい民」になってしまった。
「金」だけが、意味があって、価値がある。
「金の下の平等でいい」と、本気で思っている。
もう、モノも作らず、口先三寸で「数字」だけを操る、そんな民である。
やることと言ったら、戦争だけ。
得意なことは、ゆすりとたかりと脅し。
そういう民というのは、「いてもいなくていいい民」の、代表である。
いなくなっても、誰も困らないし、みんなが喜ぶ。
だから、悲しい民である。

小中華の夢

われわれ倭人というのは、昔は、「小中華」になりたくて、ゆえに、自分たちの酋長には、強引に、「皇」の字をあてがった。
まあこれは、いわば、ボロ長屋に住んでいる零細自営業の一家が、親父さんを「社長」とか「会長」と呼んでいるのと、同じような、滑稽なものだったのである。
「その家の中」でしか、通用しない、外に出たら、笑いものになる、ということである。
しかし、それでも、家から出なければ、けっこう幸せだったのである。
そして、1000年以上も、しつこく、「小中華になること」だけを考えていた倭人が、そのあと、どうなったかというと、「今度こそ、本物の中国になれる」という勘違いのもとに、暴れまくり、全東アジアの仲間たちに、多大なご迷惑をかけるという、秀吉の朝鮮出兵以上の最悪の結果になってしまったのだった。
挙句の果てに、西洋の植民地にされ、永遠の奴隷にされてしまったのである。
しかし、その屈辱を忘れるために、「アジアのために、いいことをしてやったんだ」などと言っているから、今では、どこへ行っても鼻つまみ状態の、ものすごい嫌われ者に、なってしまったのだった。
だから、そんな国に生まれた赤ん坊は、運が悪いとか、気の毒というしかなく、私自身も、気の毒な人のうちの一人なのであるが、誰も慰めてはくれないので、自分で気の毒に思うしか、ない。

小中華の次は

そして「次」は。
私たちは、「小アメリカ」を目指しているのである。
その終着駅は、上で書いたような、「悲しい民」なのである。