脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

LED様が来た

一変した電球売り場

久々に電球を買いに行ったら、品揃えが、以前とはまったく違っていたので、面食らった。
普通の電球は、もう、電気屋に行かないと、売ってない。
電気屋に行っても、20Wは、もう、ないと言う。
前は、あったのに。
蛍光灯も、数が減っている。
さらに、シリカ電球というものは、どこにもない。
ほぼ、LEDで統一されてきた。

もう、ほどほどでいい

私は、たぶん、日本人にしては、「灯り」には、うるさいほうである。
蛍光灯の白い光が嫌いで、さらに、明るいのが嫌いなもので、30代のころは、室内の光源とか明度には、かなり、こだわっていたこともあったが、今はもう、「ほどほど」でいいと思っている。
なんでかというと、まずは、白熱球は、電気を食う、そして、すぐ切れるから、取り換えるのが面倒だ、の2つ。
これを乗り越えても、好みの光源や明度を追求して、楽しみたいというふうには、もう、思わなくなったのだ。
私にとっては、おおむね、コーヒーチェーンのドトールのような「灯り環境」が、理想である。
あれを「快適だ」と思うほうなので、天井の蛍光灯だけというような室内が、私にとっては、どれくらいに快適ではないか、想像してもらえるかと思う。

特殊な日本の「灯り事情」

意識する人は、少ないかもしれないが、実は、日本人の「灯り事情」というのは、かなり、奇天烈な歩みを経てきたと、言えるのではないかと思う。
まず、江戸とか明治の始めくらいまでは、「家の中は、ものすごい暗い」というのが、普通だったはずである。
日の出と共に起きて、日が暮れれば寝る、起きている場合には、もしも贅沢ができるならば、行燈。
行燈というのは、ものすごい暗い(らしい)。
そして、たぶんだけど、「屋内は裸電球」の時代が来て、それも、けっこう暗かっただろう。
そこからの「変化」が、日本特有に、激しかったのである。
真っ白くて冴え冴えとした蛍光灯、日本人は、これを屋内で使うことに、抵抗がなかった。
少ない電気で、白熱球よりも明るい、ここらへんも、もともとが貧乏性の日本人の好みに、ぴったり合ったのであろう。
そして、家の中というのは、「明るいほどいい」というのが、「日本人だけの常識」に、なったのである。
これは、すごいことだ。
まあ、なんかこれって、暗かった時代の「反動」…みたいな。
西洋の映画やドラマを見ると、家の中で真っ白な蛍光灯をつけている家なんか、ひとつもない。
西洋人は、「キャンドルと同じような感じの光源」が、好きなのである。
さらに、あっちの家は、「光源」が多い。
天井だけ、とか、そういうことは、ない。
まあ、日本人というのは、瞳の色がみんな黒と決まっているから、瞳の色が薄い人たちとは違って、「眩しさ」の感度が、違うのである。
それと、「文字」の関係。
日本語というのは、かなりの明度がないと、きちんと読むことが、難しいのだが、アルファベットだと、けっこう暗くても読める、という違いもある。
とにかく、白くてのぺっとした蛍光灯の光源でもって、家の中を、煌煌と明るくしておくということに、ぜんぜん抵抗がなかった、そっちのほうがいいと思って、飛びついた、そして、幸せだと思った、それが日本人。

LED様が来た

そういう時代が、数十年続いて、そして、突然、「大好きだった蛍光灯」に、別れを告げるときが来たのである。
LED様が、来た。
蛍光灯よりも電気を食わず、蛍光灯よりもササッとついて、蛍光灯よりも長持ちする。
最初のころは、びっくりするような値段だったが、少しずつ下がってきたようで、こうなれば、今後は、もっともっと普及するであろう。
蛍光灯にも、後期には、「電球色」という、気の利いたものが、出ていたが、LEDも、それがあるから、まあ、よほどに「光源へのこだわり」がある人でなければ、LEDの電球色を買っておけば、何十年かはもつから、普通の人は、それが、妥当だろう。
しかしこれ、のぺっとした、つまらない光であって、そして、ひとつでけっこう明るいんだよな。