脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

「価値観」とは、「格付け」のことだったのである

私を悩ませた謎の連呼

安倍普三が、「価値観を共有する国々」と強調するたびに、私は、違和感しか感じなかったのだが、私以外の日本国民の人たちは、その言葉に、違和感を感じていないのだろうかと、ずっと不思議に思っていた。
「そんな、事実とはかけ離れたことを、何度も何度も言っていたら、頭がおかしいと思われて、支持率が下がるだけなのではないか」と、思ったのである。

西洋の映画やドラマを見ても、およそ共通点などは、どこにもないし、「この人たちは、まったくもって、別物だ」という認識を、どんどん強くするばかりだったのである。
さらに、「その人たち」のほうも、本当に少数の例外を除いては、そもそも「アジア人」には、興味を持っていないということも、よくわかった。
「日本人に興味がない」のではなくて、「アジア人全体」に対して、もともと興味がないか、果てしなく薄いのである。
「アジア人というのは、地球上のどっかに、いるようだけれども、別にどうでもいい」というのが、妥当なところだろう。

相手は無関心

さらに、ネットという便利なものができたために、外国人との接触も容易になったので、いろんな外国の人と、話してみたけれど、話せば話すほど、「違い」のほうを、強く認識するばかりであった。
「共通点」があるとしたら、それはもう、「人間である」ということしか、ないと言っても、間違いではない。
文化・言語・宗教・習慣、すべてにおいて、共通点がないのである。
じゃあ、安倍普三は、いったい、何を「アノ人たちとの共通点」とか、「共有している部分」だと、思っているのか。

1億人が共有する「幸せな幻想」

私は、長いこと、考えて、そして、やっと、答えが出たのである。
それは、「格付け」だろう。
安倍普三が強調しているもの、そして、安倍普三に「西洋諸国と共有している価値観」と言われて、違和感を感じないとか、ピンと来るような人たちが、共有していると思っているものは、「格付け」であろう。
「格付けこそが、最も重要な価値観である」と思っていれば、文化・言語・宗教・習慣・ロケーション、すべてにおいて、なんら共通点がなくても、「アノ人たちと、価値観を共有している」というふうに、思える。
すごい。
私は、そういうふうには、まったく思えない。
とにかく、アレだ、安倍普三的な「格付け」というのは、アメリカを頂点として、その下に、西欧州や、オーストラリア・ニュージーランド・カナダなどが並んでいるその「直下」に、「日本」があって、そしてその「直下」に、「先進国の境界線」が引かれているという認識を持つこと、これだろう。
つまり、「日本は、先進国リストに名前が載っている唯一のアジアの国である」という、「そういう価値観」である。
それだったらまあ、大日本帝国時代の戦前と、意識は同じ、ということなのであるが。
ともかく、どうしてか知らないが、「この価値観」は、私以外の日本国民には、けっこう広く共有されていたということなのであろう。
そうでなければ、日本の首相が、国民に向かって、「だから、その人たちが敵だと思う相手(中国)とは、仲良くするのはやめましょう」などと、しつこく訴えるわけはないのである。
そうだったのか。私以外の「ほとんどの人」は、そう思っていたのか。
驚くな。
もちろん、「この価値観」の「最大の問題点」というのは、日本の領土を一歩出たら、誰にも共有されていないとか、まったく通用しない、ということなのである。
しかし、「国民の大多数」が、実際に、「価値観を共有していると信じている相手」と、どんどん接触をして、「完全な片想い」であるという事実に気が付くまでは、この「幸せな幻想」は、今後も、かなり長い間、1億人に共有され続けるのであろうと、思われる。
まあ、たぶん、あと数十年は。