脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

蝉の声が嫌いな理由

ふるさとがわからない

なにしろ、うちの親というのは、流れ者で、故郷に定住するということをせず、西の方から、東へ東へと、移動を続けてきたのである。
だから、自分の「ふるさと」って、いったいどこなのかなあと思うが、やっぱり、幼稚園の年長から、小学校の大部分を過ごした、都内のあそこらへんではないのかなあ、という結論になる。
「それ以外の場所」に住んでいた期間のほうが、長いと言えば長いのであるが、人間というのは、たぶん、そこらへんの年齢で過ごした場所のことを「原風景」として、記憶してしまう生き物なのだろう。
例えそれが、人間の生存には、あまり適していないようなシロモノだったとしても。

原風景は、分厚いコンクリート

だから私は、徹底的に、「自然じゃないもの」に囲まれて育ったというのが、妥当かもしれない。
自分の家も、友達の家も、分厚いコンクリートに囲まれた集合住宅だったし、当時は、家の中で、ゴキブリ以外の虫を見かけたことは、記憶にないのである。
蚊取り線香を、毎日炊いていたかどうかも、怪しい。
学校も、分厚いコンクリ。
図書館も、プールも。
陸橋とか、線路の高架とか、そういう、ゴツくて人工的なものを、見慣れていた。
家の中から見える景色と言えば、アスファルトの道路と、そのむこうのガソリンスタンド。
友達の家は、もっと上のほうにあったから、窓から、フォルクスワーゲンビートルの数を数えて遊んだ。
近くには、高いビルがいくつかあって、そのうちの一番高いビルの避雷針には、よく雷が落ちていたらしい。

蝉の声が嫌い

だからなのか、知らないが、私は、蝉の大合唱というのが、今でも、好きではない。
「蝉の大合唱=酷暑」というイメージがあるから、ということもあるのだが。
考えてみると、夏休みに田舎に行けば、蝉は大合唱で、夜は田んぼでカエルの大合唱、布団の上には虫が這っていた。
が、そのころは、それが嫌だというふうには、あまり思わなかった。


今の住まいは、裏が山になっているので、一年じゅう、鳥は鳴くし、夏は蝉も参加、蚊取りは欠かせず、家の中には、ムカデを含め、ありとあらゆる種類の、おぞましい形状の虫が侵入する。
だから、10年住んでも、仮住まいのような気がしているのである。
変な話だ。
しかし、蝉の大合唱は、以前よりも、数が減ってきているような気がするのだが、気のせいだろうか。

消えた原風景

私の「原風景」を、大人の目で、もう一度確かめてみたいなと思うが、それは、もうない。
あの近辺は、今では、すっかり形が変わってしまって、跡形もなくなってしまったのである。
今は昔。