脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

一期一会のチャイティーの思い出

二度と会うことのない誰か

半世紀も生きると、「一期一会」という言葉の意味が、じわじわとわかってくるようになる。
人生のある時点で、たまたますれ違って、何かを共有し、別々の方向へ歩き去って、二度と会うことのない人たち。
なのに、なぜか、「自分という映画」の鮮明な一コマとして、記録されている、そういう人たち。

四半世紀前の東京で

あの人は、どうしているかなあと、ふと思う。
元気でいてくれるといいな。
もう四半世紀も前の話だが、仕事で、東京のある場所に、3週間ほど滞在したことがあった。
そこには、全国各地からの研修生が集まっていて、寝泊りをしながら、勉強をして、前よりもリッパになって帰っていくということに、なっていたのだった。

実は、協調性はけっこうある

私は、人付き合いは好きな方ではないが、実は、対面での対人能力は、かなりあるほうなのである。
まあ、そらそうだ、そういう世界で、長くやっていたわけで、そういう意味で、ネットの世界は、なんて不便なのだろうと、思うわけである。
私の対人能力は、長期戦になればなるほど、生かされるとも言えて、不特定多数の他人と寝食を共にするような場面だと、時間が経てば経つほど快適さを感じるようになってくるのである。
ともかく、女子寮のレクルームに行けば、誰かしらがテレビを見ていて、話し相手には困らなかったし、割り当ての部屋には、相部屋の女性がいるので、一人暮らしをしていた私は、そういうのって、けっこういいなと、思ったのである。

しーんと静まり返った女子寮

ある日、目を覚ますと、ものすごく静かだった。
女子寮には、私ともう一人の女性の2人しか残っていなかった。
土曜日か日曜日か、どっちか忘れたが、休みの日だったので、みんながみんな、遊びに出かけてしまったのである。
私たちは、互いを発見し、自分以外にも残っている人がいたということに気がついて、取りあえず、どこかへ出かけることにした。
その女性のことは、よく知らなかったけれど、すぐに打ち解けた。

特殊な生活スタイル

道すがら、話を聞くと、その人は、結婚をしているということだった。
…が、別居をしているというのだった。
しかし、特に、不和だからというのではないという。
なぜなのか、それは、彼女の説明によると、生活スタイルが特殊なので、平日に一緒に暮らすのは、あまり意味がないからだという。
彼女は、仕事から帰ると、まず「寝る」のだと言った。
……!
6時とか7時とか、よくわからないが、とにかく、一度寝て、10時とかそれくらいに、起きて、それからいろいろやるのだという。
へえ、変わった生活をしている人もいるんだなあと思ったが、彼女いわく、仕事が終わると、疲れてしまうので、一度寝ないと、いろいろできないのだ、と言った。

似た者どうしで

私たちは、高円寺に行った。
特に何をするという目的もなかったけれど、互いに、古本屋や古着屋を巡るのが好きだということで、なんとなく、そっちのほうへ行ってみようということになったのだ。
私たちは、土地鑑もないまま、ぶらぶらし、ひなびた商店街の中に申し訳程度にしつらえられた喫茶スペースで、本式の「チャイ」を飲んだ。
つまり、「そういうところに、なぜかそういう飲み物がある」というのが、高円寺、だったのである。

寮へ帰れば、遊びに出ていた人たちが戻って来ていて、また、賑やかな共同生活の雰囲気に戻っていた。


そして、「ずっとこのままでもいいな」というくらいに、快適さを感じ始めたころに、私たちの研修生活は、期限切れがきて、それぞれが名残りを惜しみながら、全国各地へと、戻って行ったのだった。

一期一会

その後、彼女と連絡を取ることは、なかった。
どうしてなのかと聞かれれば、なんとなく、としか、言いようがない。
今となっては、もう名前も忘れてしまったし、確かめる方法もない。
どうしているだろう。
四半世紀前の初秋、あのダルい高円寺の午後、2人で飲んだチャイ、あれは、私の人生の、けっこう重要な1ページだったんだな、ということは、今になれば、よくわかる。