脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

「向こう側」に行った知り合いたち

頓死した人たち

なぜかわからないが、私には、若くして鬼籍に入った人たちが、知り合いにけっこういる。
あの人たちは、いったいどうしているのかなあ、などと思う。
親しく話をした相手が、「いなくなってしまった」ということが、どうにも実感がわかないのである。
相手のお葬式に行っても、お墓に行っても、まだ、よくわからないのだ。
「あの人は、亡くなったんだ」と思っているのだが、同時に、「あの人と話をしたいんだけど、いったいどうすれば連絡がつくのだろう」などと思っている。
人間とは、変な生き物だなあと思う。
そもそも、「生き物」というのは、面倒な存在で、生きているか、死んでいるかのどっちかしかない。
だから、「死んだことがある人」というのは、実際には、いないので(生き返った人は、死んだ人ではない)、「その人たちが、どこに行ったのか、どうしているのか」ということは、誰も知らない。

あれは、「どっち」だったのか

ずいぶん前の話で、ある男性が、30代前半の若さで突然死したのだが、私は今でも、あの人が、「緩慢な自殺」をしていた結果、ああなったのか、それとも「自分だけは絶対に死なない」というふうに信じて、「実験」をしていたのか、どっちだったのかが、わからないのである。
だから、本人に会って、いつもの調子で、「いったい、どういうつもりだったの?」というふうに、聞いてみたいのだ。
しかし、できない。
なんとも、もどかしい話である。
その人は、20代から、不摂生の限りを尽くしていたというか、「限界に挑戦」をしているのかと、思っていた。
酒飲みで、まともな食事を取らなかった。
周囲の人たちは、心配して、あれこれと忠告したが、いっこうに聞き入れなかった。
ときどき、体調不良の症状が出ていたが、本人にとっては、笑いのためのネタでしかなかった。
そんな生活を続けて、30代になったころに、脳梗塞を起こして、休職をしていると聞いた。
その後、復帰はしたのだが、最後に会ったときには、言葉が出にくくなっていた。
が、仕事はぼちぼちこなしていたようである。
特に、それまでの不摂生を後悔している様子もなく、いつもと同じで、飄々としていた。
彼の脳梗塞は、どう考えても長年の不摂生の結果であるから、喫煙くらいはやめたのかと思ったら、吸っていた。さすがに、酒はやめているらしかった。
それからしばらくして、一人暮らしのアパートで、亡くなっているのを発見されたと聞いた。
やはり、それほど摂生をしていた様子もなく、即席ラーメンを作ろうとしていたところを、倒れて、そのまま亡くなって、様子を見に来た上司に発見をされたのだという。

本人に話があるのに

私は、思った。
あれっ、そうすると、限界に挑戦していたんだか、緩慢な自殺をしたかったのか、どっちだったのか、どうやって本人に聞けばいいのだろう、と。
そういう軽口を叩く関係だったので、今度会ったら、そういう話をするに決まっている。
しかし、もう、二度と会うことはないのか。
変だな。と思った。
悲しいとか、つらいとか、なんとかいうより、そういう感覚なのである。

亡くなった人たちに、用がある

いつか、私が「むこう」へ行ったときには、亡くなった知り合いたちに、会えるのだろうか。
そこらへんが、本当に、気になるのである。
私には、ほかにも、いろいろと話をしなければならない相手がいて、しなければならない話が、あるのである。