脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

ヒトの体の耐用年数は、だいたい50年

人体は、どれくらいもつようにデザインされているのか

無機物に耐用年数があるように、ヒトの体も、「耐用年数だいたい何年」というふうに設計されているんじゃないかな、と思う。
もちろん、大事に使えば、耐用年数以上に使えるし、逆も真なり。
それにしても、100まで生きると宣言し、そのために、酸素ベッドまで使用していたマイケル・ジャクソンのような人が、半分くらいしか生きられなかったというのは、皮肉なことだと思う。
彼の「頭の中の見えない何か」が、「設計上の耐用年数」よりも、実際の耐用年数を左右するような、大問題だったのだ。

耐用年数50年

最近は、ヒトの人体というのは、だいたい、耐用年数50年で設計されているんじゃないのかな、というふうに思うようになった。
それを超えると、いろいろと「期限切れで、使用不能になった機能」とかが、出てくる。
または、使用はなんとかできても、前と同じようには、機能しない、とか。
ああ、耐用年数は、だいたいここだったのか、というふうに思う。

体の耐用年数を過ぎた人たちが実権を握るのが「ヒトの社会」

しかし、ヒトの社会というのを見てみると、実際には、「人体のそもそもの耐用年数よりも上の人」によって、運営されていることが、多いわけだ。
その人たちが、意思決定権を持っている。
どうしてこうなるのかというと、ヒトは、社会的動物で、複雑な存在になったからだ。
体の耐用年数がとっくに過ぎていても、「社会的生命」のほうは、絶好調だったりする、と。
ドナルド・トランプは71歳、ヒラリー・クリントンは69歳、バーニー・サンダースは75歳。
ロドリゴ・ドゥテルテは72歳、プーチンと習近平は64歳、安倍普三は62歳、菅義偉は69歳。
ヒトは、「複雑に生きる存在」と化したために、「脳の中身」のほうが、体のもともとの耐用年数よりも、「モノを言う」ようになったのである。

選ばれた人たち

しかし、体の耐用年数を超えても、元気いっぱいで、次から次へ、何かをやっている人たちというのは、やはり、選ばれた人たちなんじゃないかなあと、思わざるを得ない。
もともと、「生き物として優れている」、と。
もちろん、「善悪」とか、「成否」とは、別の話である。
というのは、誰でも、「ああ、耐用年数が来たんだな」と思えば、気持ちのほうもがっくり来て、「あと何年くらいかな」とか、「その間は、余生だから、とにかく無難に過ごしたいな」と思い始めるのが、普通ではないかと、思うからだ。
「並の人間」で、あるならば。