脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

私を悩ませる「あの歌」

私を悩ませる「あの歌」

ときどき、なぜか、ふっと気になってしまう歌がある。
どうでもいいし、もう、偶然聞く機会なども、ないのに。


渡哲也の往年のヒット曲、「くちなしの花」。
あの曲が、不思議で仕方がなくて、ときどき、考え始めたら、止まらなくなってしまう。
「いーまでは ゆびーわもー」という、やる気のなさそうな歌声の、アレ。

とりあえず、あの歌の主人公は、男性、という設定である。
そして、「オレ」は、「旅路」に出ているらしいのだが、誰か別れた女性の消息を聞いて、心配している、と。
ふむ。
その女性というのは、以前、「オレ」と、関係があった、そして、「指輪」と言っているから、それは、オレと、なんの関係もない指輪のはずはないから、結婚指輪であろう。
ということは、オレと相手の女性は、離婚したか、別居しているか、どっちかだ。
オレは、女性と離れて、旅路に出ているわけだから。
なぜなんだ。
さらに、歌詞の2番では、スバリ、「雨のわかれ」とあるから、別れている。
というか、女性が、そんなに苦労をしたのは、オレが、いなくなってしまったから、という雰囲気である。
または、もともと不倫関係であって、だから、別れた、という可能性もある。
が、3番の「ちいさなしあわせを捨ててしまった」という告白からすると、これは、結婚をしていた、というほうである。
不倫関係なんてものは、「ちいさなしあわせ」というふうには、言わない。
「ちいさなしあわせ」というのは、「貧乏な所帯を持った状態」を、美化したときの、表現である。
つまり「オレ」は、稼ぎはよくなかったが、結婚して、所帯を持って、それなりに満足をしていたんだ、と言っている。

なぜ、放っておく?

一番の問題は、「指輪が回るほど、苦労をして痩せてしまったという、元妻または別居中の妻」が心配ならば、なぜ、駆けつけて、面倒を見てやらないのか、ということなのだ。
よくわからない。
しかし私は、最近になって、この曲が完全につじつまの合うように説明のできる「解答」を、発見したのである。

真実

これは、ギャンブル依存症で、借金を作って、その結果、女房に迷惑がかからぬように、離婚をし、借金取りから逃げている男のことだとすると、すんなり、説明がついてしまう、のである。
別れた理由も、やつれた元妻を助けに行けない理由も、ちいさな幸せを捨ててしまった自分がバカだったな、と言っている理由も。
というか、「こういうふうな境遇の男」でなければ、この歌の状況は、当てはまらない。
だからこれは「ギャンブル中毒で身を滅ぼした男の歌」、なのである。

ダメな男の願望ソング

…しかし私は、この歌の主人公の男は、「男の願望」を歌っているに過ぎないと、思う。
この歌の作詞をした人は、相当な策士だなあと(だじゃれではない)、思うけれども、男の願望を歌わせる、美化して、歌わせる、本当は、こんなことは、有り得ないことだけれど、歌謡曲とは、そういうものだと、非常によくわかっていた人なんだなあと、思う。
有り得ないというのは、なぜかというと、女は、夫の借金が理由で離婚したという場合には、ほっとしているに決まっているし、「指輪が回るほどやつれている」というのは、うわべだけで、たくましく、次の男を探しているとか、収入源を確保しようとしているというのが、実際だから、だ。
借金を作って逃げている前夫のことなんか、気にしているわけが、ないではないか。
「とにかくもう、二度とあらわれてくれるな、迷惑だから」、そう思っている。
または、離婚をしない場合には、生命保険がかけてある、とか。

現実と願望の間には、深くて深い川が

以前に、ある女性が、夫の借金が理由で、まさに「くちなしの花の状態」で、離婚をした。
そして、仕事を見つけ、一人で働いていた。
いっぽう、別れた夫は、数年後に、病気になって死んだ。
そうしたら、その女性は、「死んだあと」になって、駆けつけて、葬儀には「妻」として出席し、「離婚は、借金から逃れるために、形だけだった」「実際には、内縁関係があった」として、いろんな保険の給付金類をもらうために、さっそうと登場した、のである。
びっくりした。
しかし、女性とは、そういうものなのである。
その人が、特別にがめついとか、恥知らずというわけでは、ないのだ。


だから、「くちなしの花のような女性」というのは、実在は、しないのである。
男の願望の中にだけ、生きている。
現実には、そういう女性がいないからこそ、男には、こういう歌が、必要なのだろう。アーメンで、合掌である。