脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

時代劇は、なんのために流行り、愛好されたのか

時代劇ブームは、怨霊鎮めだったのか?

日本の文化は、怨霊を鎮めるために、発達してきたんだと、そういうふうに考えると、いろんなことが、つじつまが合うじゃないかと、まあ、そういう話で、それは、否定できない事実だろう。
そうなると、ふと思ったのだが、戦後の「時代劇ブーム」とくに、シリーズもののTVドラマというのも、その文脈で、説明できるものなのではないのだろうか。
どうして今まで、そういうふうに考えなかったのかと、思うけれども、わからない。
生まれる前から、当たり前にあったものだから、別に、なんとも思わなかった。

滅ぼされた前の支配者の時代を懐かしむのは、怨霊信仰

銭形平次、水戸黄門、遠山の金さん、必殺仕事人、ああいうシリーズものは、すべて、江戸時代へのオマージュであって、徳川幕府が仕切る世の中への「礼賛」までは行かないが、「否定」ではないのである。
「礼賛」ができないのは、それは、徳川幕府を倒した明治政府が、事実上の征夷大将軍になってから、それがまだ、続いているからである。
その状態は、戦前も、戦後も、変わらなかったのだ。
が、支配者が変わったあとに、前の支配者を「忍ぶ」ということは、日本の文化では、許されてきて、わりと積極的に、行われてきたというのは、それは、怨霊信仰であると、それで説明できる。
そうなると、やはり、時代劇というものも、その一部であると、考えた方が、自然なのではないか。
そら、江戸時代は、ひどかった、イカんかった、終わってよかった、潰して正解、やっつけた人たちは、エラいと、言えば、「明治以降の支配者」には、喜ばれるのである。
薩長をアゲようと思ったら、そう言えばいい、という、簡単な話であって、たぶん、明治時代とかは、かなりの程度で、そうだっただろう。
が、長期的には、そうでもないというのは、日本だからであって、それは、怨霊信仰によってしか、説明がつかない現象である。

なくなった時代劇

その時代劇は、ここ数年で、衰退の一途を辿ったわけだが、これはいったい、どういう文脈で、考えればいいのだろう。
日本人というのは、意識しようがしまいが、やることなすこと、怨霊信仰による。
だから、「何かをやめた」という場合には、それは、理由は、2つしかない。

  1. 怨霊の気の済むような結果が出た→怨霊に害を成した「誰か」なり、「何か」が、滅ぼされた。
  2. 怨霊が御霊になったと見なされ、もう、鎮めてやらなくても大丈夫だと、みんなが思った。


現状を見ると、どっちにも当てはまっていないのである。
現実には、「この世をば」とか、「長州にあらずんば人にあらず」という、そんな状態である。
御霊になったのかって、それならどうして、天皇家の長男には、男子が生まれず、さらに、東日本大震災とかが、起きたんだろうか。
ならば、怨霊信仰自体が廃れたとか、なくなったから、というふうに見れば、いいのだろうか。
そうではないように思う。
2000年くらい続いてきたものが、大した理由もなく、急に終わるというほうが、不自然である。

本当に、これで終わり?

人は、そういうことを、あんまり考えないけれども、明治政府=薩長が征夷大将軍であるという状態は、だいたい、過去150年くらい、続いているが、徳川家よりは、まだ、ぜんぜん短いのである。
そして、日本では、征夷大将軍になった家が、天皇家を従えて、日本を支配しつつ、自分の家を富まし、家の永続のために、あらゆる手を打つのだが、永遠に続いたことは、一度もなく、いつも誰かにひっくり返される、という仕組みに、なっているのである。
そうなると、薩長の天下というのも、誰かに、何かにひっくり返されるときが、来る、ということになる。
それは、誰、何なのか。
アメリカは、ひっくり返さなかったのであって、「みかじめ料さえ出せば、オマエらが続けて仕切ればいい」と、2回言った。
一度目は、明治維新の前、下関戦争のあと、二度目は、第二次世界大戦のあと。
だから、アメリカの、「長州に対する信頼」というものは、すごい強いということになるのである。
「コイツらは、オレたちには、絶対に逆らわない」と。
実際には、逆らったわけだが、それでも、もう大丈夫だという、確信があったのである。
たぶんだけど、下関戦争のあと、真珠湾を攻撃するまでの77年間の「親分アメリカへのご奉公」が、かなり、効いていたのであろうと、私は思う。
77年の間、親分に殴られながら、「滅私奉公」をしたあと、たったの4年間逆らったからといって、「使い勝手の良い子分」は、あっさり切り捨てられたりは、しなかったのである。
ともかく、征夷大将軍というのは、いつかは、誰かに倒され、倒した誰かに取って代わられて、交代するのであるが、今度は、誰によって、なのであろう。
民衆によって、本当の革命によって、ないない、それだけは、ない。
薩長の内輪もめで、内部から崩壊する?
どうだろう、今のところ、長州の一人勝ちのような気がするが。
西郷さんは、銅像にされて、怨霊化を阻止されてしまったしな。
あるとしたら、やっぱ、江戸幕府の残党勢力、ということしか、ないのではないかと、私は、思っているのだが。
そして、それと、時代劇の衰退は、いったい、どういう関係になるのか、今のところ、私には、わからない。


関ヶ原のリベンジを、270年後にやって、それで、相手との「勢力争い」は、終わったのかって、そうかな。
本当に、それで、終わり?
もしかしたら、単に、それから150年の間、「まだ、リベンジへのリベンジをやってない」、というだけの話かも、しれないではないか。