脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

西部邁が残したもの

船を待ちながら、床屋談義に花を咲かせているころ

西部邁は、今ごろ、どこで、何をしているのかな、なんて思う。
前の記事(魔の刻~逝く人逝く人~ - 脱力日記)でも書いたが、私は、彼が「消滅してしまった」というふうには、どうしても、思えないのだ。


三途の川の手前で、船を待ちながら、旧知の顔を見つけて、相好をくずし、話し込んでいるのではないのだろうか。
野中広務にも、会っているだろう。
あの抜け目のない、人好きのする笑顔で、「僕なんか、しょせん、地の果てから出てきた田舎者ですから」と言いながら、いつの間にか、相手を圧倒し、どんな相手でも、聞き役に回してしまって、自分ばっかりしゃべっているのでは、ないのだろうか。
いつものように。
佐高との対談番組でも、7:3か8:2の割り合いで、自分ばっかりしゃべっていた。

汚した晩節

「僕は、どうしても、保守にならざるを得なかったんです」と、言ったことを、よく覚えているが、それは、西部自身は、保守であったということは、間違いなく、言える。
彼は「全部わかってた」のであって、「演じてた」のだ。
でも、「保守でもなんでもないバカの集まり」に、参加をして、それらの売国者たちの味方をしたということは、どうしてなのか、知らないが、晩節を汚したという以外には、表現が見つからない。
彼は、「あれら」が「保守」だなどと、思っていたわけがない。
わかってて、演じていたのだ。
どうしてなんだ。
どうして、「日本とは、こういうもので、保守とは、それを守ることなんだ」という、真実を、教えてやろうとはしなかったんだ。
「教える」というのが、彼の天職だったはずではないか。
本当に、よくわからない。

「安倍さんは、やっぱり長州人だなと思った」

これは、3年くらい前だったが、意味合いとしては
「自分よりも強いものには、すぐになびき、土下座をする」
という、意味なのである。
それが、安倍とその一族の真実なのだが、西部はもちろん、ほとんどのインテリたちは、そんなことは、当然知っているが、「保守」と言いつつ、安倍政権下の日本のテレビ番組(しかも日テレ)で、こういうことを平然と言えるというのも、西部くらいのものだったであろう。
西部は、もちろん、全部わかってて、そして、ある程度以上の頭のある人が、「わかってる」なんてことは、当然の話なのである。
何がわかってるかって、それは、日本はアメリカの植民地で、アメリカは、長州閥に「植民地の統治」を任せている、ということだ。
基本的には、「明治以来ずっと」、である。

あえて「バカども」とつるんだのは、なぜだったのか

西部は、すべてを、誰よりも理解していた。
日本というのは、なんなのかってそれは、内田樹が言ったように、「辺境の民の住むところ」、大きな東アジアの、すみっこの民が集まっている場所である。
東アジアの末席に連なって、その立場を利用して、小狡く、そして、それなりに「鄙の幸せを楽しむ」という、それが、「日本」である。
それがわからない人ばっかりになって、そういうアホどもが、「保守」を自称したりして、わいわいやっているような場所に、どうして、参加していたんだ。
「そうじゃない」とか、「ここにいるのは、バカばっかり」「売国も、だいぶ混じっとる」ということは、誰よりも、理解していたはずなのに。

西部が残した「最大の遺言」

彼は、三島由紀夫が解決できなかった問題を、やはり、解決できなかった、無力だった、そして、失望したまま、死んでいったのか。
が、生きている間に解決できなかった問題が、本当に解決できなかったのかどうかは、あと数十年や、百年経ってみなければ、わからないのである。
三島由紀夫が蒔いた種は、へんなものだったけど、蒔いたには蒔いた、のである。
蒔かなかったのとは、どえらく違う。
西部は、生きているうちに、「何か」を蒔いた、でも、芽が出ないから、絶望して、去って行った、でも、これからも、出ないかどうかなんてことは、誰も知らない、のである。
西部は、「最後は、『言葉』だろう」と、言った。
西部は、何を言いたかったのかって、つまり倭人は、明治以来、西洋の植民地化に、晒され続け、同化を迫られているのであって、そして、今までのところ、「同化」への抵抗を、続けているが、言語さえ守れるなら、民族として、成立する、存続できる、と。
自分たちに固有の言葉は、倭人にとっては、民族としての最後の砦である。と。
この指摘は、非常に重みがある。
これがある限りは、民族である、倭人である、ほかのどの民族とも、同じではない、同化されて、文化を失って、消滅してしまうという状態には、ならない、西部は、そう思っていた。
それがたぶん、西部がわれわれに残した、最大の遺言であり、ある意味では呪いであり、またある意味では、「最強のお守り」であるとも、言えるのである。