脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

もしも、こんな世界になったら

もしも、こんな世界になったら

商店街で、信号待ちをしているときに、ふと思ったのだが、「もしも、匂いに色がついていたら、面白いのにな」と。
色のついた匂いというのは…ないわけではないが、何かが燃えているときしか、ないし、普通は、匂いだけで色がつくということは、ないよな…。
人がいっぱいいて、いろんな匂いがするような商店街の「匂い」が、可視化されたら、かなり面白いことになるし、どんな匂いが、どの系統の色とか、だいたい傾向があれば、どっちのほうに何があるということは、あんまり考えなくても、わかるようになる、わけだな。
そういう世界は、けっこう、ラクで、いいかもしれない。

世の中をよくするには

人の「邪悪さ」とか、「善良さ」に、色がついていて、見ればわかるという状態だったら、世の中は、かなり、よくなるかもしれない。
強欲さとか。
まあ、そうなれば、自分も、そんなにきれいな色には、ならないが、私は、そんなに立派な人間ではないかわりに、そんなに悪い人間にも、なれないのである。
平気で嘘をつく人、ものを盗む人、乱暴をする人、そういう人に「色」がついていたら、選挙では、選ばれなくなるから、いいんじゃないのかなと、思うんだけど。
そうなれば、安倍普三みたいなのは、いくら特権階級だからって、何度も再選されるかな。
ああいうふうに、悪人ですと、顔に書いてあるのに、世間の人が、なぜか、気がつかないというのは、すごいことで、もしかすると、技術の進歩で生活がラクになったせいで、そういう能力が衰えて、劣化しているのかもしれない。
だから、わかるようにするには、「色」とかをつける必要が、あるんじゃないのか。
世の中には、「他人のオーラ」とかが、見える人が、少しはいるらしいけど、それは、他人には見えないわけだから、見えると思い込んでいるだけなのか、ウソをついているのか、病気なのかは、誰にもわからない。
「見える人どうし」で、「ああ、金色ですねえ」「そうですねえ」とか言っていたとしても、それもけっこう、よくわからない話である。

若いうちに、読め

若いころに読んだものというのは、よく覚えているものだが、私には、筒井康隆なんかが、そうである。
短編で、こういうのがあったな。
ある日、何かが起こって、世界が変わってしまって、前日に〇ックスをした人は、翌朝、おでこに「マーク」が出るようになってしまった。
そういう世界の話が、あったな。
筒井康隆は、短編のほうが面白くて、いろんなアイディアが、展開されていた。
「もしも、こうなったら」的なのは、それこそ、掃いて捨てるほどあった。
私がそれを読んだのは、おおかたが、十代のころだったが、今の十代の子は、筒井なんか、読まないだろうな。
ああいうのは、数十年後に、効いてくるんだけど。