脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

老いと責任

社会が壊れたことへの「責任」

今の日本社会は、末期症状で、誰がどう見ても、狂っているなあと思うのだが、人口ピラミッドの中で、真ん中よりも上の方の世代になってしまったとなると、「日本が狂ったこと」について、なんとなく、後ろめたいなあという気は、する。
私だって、自分の姪や甥が、近い将来に、戦火に逃げ惑うような世の中で暮らすことには、なってほしくないと思っている。
なってほしくないと思って、そうならないように、どれだけの努力をしてきたかと言われれば、それは、ほかのことにかまけて、怠ってきたとしか、言えない。
それが事実である。
というか、「そういうことをしないと、自分の次の世代が困ったことになる」とは、あんまり思っていなかったのだ。
「だいたい、このままキープしておけば、もう戦争にはならないだろう」と思っていたし、私以外の同世代の人たちだって、ほとんど同じだったはずだと思う。
「戦争は絶対にしないぞ!」と、絶叫しなければ、戦争になってしまうとは、思っていなかったのだ。
だって、そういう雰囲気ではなかったのだもの。
戦争にはもうならない、みんながそう思っていたから、絶叫をしなかったのだ。
言い訳をしている、それはそうだけれども、本当に、そうだったんだから。

文句を封じた「食べるだけでせいいっぱい」のエピソード

私たちの世代というのは、「衣食住に困らないだけで有難いと思え」と、そういうふうに言われて、育てられたのが、普通だと思う。
たぶん、そういうふうに育てられた「最後の世代」だったのではないのかな。
私の小学校のときの校長は、朝礼で、「熱い時には寒いと思え、寒いときには、暑いと思え」と言った。
今なら、考えられない話であるが、私の子供のころというのは、校長が、そういう「大日本帝国陸軍な訓話」をするのが、おかしくなかったのである。
さらに、家では、親が、「昔は、食べるものにいかに困ったか」という話をして、食べられるだけで有難いと思えと、叩きこまれた。
「養ってもらっているうちは、言うことを聞け」と、普通に言われていた。
今なら、虐待になるのかもしれないが、そういうことを言う親は、別に珍しくはなかったと思う。
しかしだな、今思えば、「ああいうの」というのは、「下の世代から文句を言われないため」の、伏線だったのではないかという気が、すごくするんだよな。
「自分たちは、食べるだけでせいいっぱいで、それ以上のことは、やりたくてもできなかったんだから、責めるな」と。
私は、はっきり言って、自分よりも上の世代には、ものすごく文句を言いたい。
戦後の始末を、きちんとやっておいてくれなかったことへの不満は、ものすごくある。

「戦争をしてはいけない」って、そもそもアナタたちが、もっとちゃんと…

80とか90を超えているような人たちが、「二度と戦争をしてはいけない」と、言い始めているが、だったら、どうして、「もっと、ちゃんとやっといてくれなかったんですか」と、私は、そう思うのだ。
だから、今、こういうことになっているんじゃないですか、と、何を「自分には責任はない的なこと」を、言っているんですか、と。
それは、その人たちだって、たぶん、私と同じことしか、答えないだろう。
「そういうことまでしておかなければ、また戦争になるかもしれないとは、思っていなかった」と。
けれども、いろんな「大日本帝国の後始末」を、ちゃんとやらなかったのは、私よりも上の世代の人たちであって、そこで手を抜いたから、こういうことになっているということは、明白なのである。
「大日本帝国の後始末を、ちゃんとしなかったこと」への「責任」は、少なくとも、私にはないと思う。
ただし、「戦争はしないぞという絶叫が足りなかった点」については、責任は、あるかもしれない。私だけにあるのではないけれど、あるかどうかと言ったら、やはり、あるだろう。
そのために、次の世代が戦火に苦しむことになって、「アンタたちが手を抜いたせいだ」と言われたら、どうしたらいいのか、わからない。そうなったら、かなり、困るな。
たぶん、「自分よりも上の世代」のせいにすると、思う。
だって、その人たちのせいだと、思うもの。