脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

他人の元気さに驚くしかない件

他人の元気さに驚くしかない件

muragonには、じわじわと、ご新規さんが増えているようで、運営も順調なようだから、よかったな、と思う。
muragonは、無料サービスの中では、わりと堅実なサービスだから、これからもっと、利用者が増えて、栄えるといいなと、思っている。

気力体力に優れた人たち

最近目立つのは、やっぱ…熟年不倫に燃えているブログ、とかかな。
前にも書いたけれども、当方だって、年齢カテゴリのみには、ばっちり該当していたとしても、気力体力カテゴリでは、まったく該当しないのである。
ここらへんが、本当に不思議な話で、どうして、半世紀近く生きて、まだ、そういうことに燃えるための気力や体力を維持できるのか、これはまあ「生物としての資質」の問題かな、としか、思えない。
何度も言うけど、当方が、「そういう気力や体力」が、なんとかあったのは、たぶん、40歳前まで、である。
そのあとはもう、生きるだけでせいいっぱいで、「生命の維持」以上のことは、なかなか、できなくなったのである。
恋愛だの、生殖行動(そもそも、生殖としての意味は、ないけど)だのに割り振るためのリソースが、どうしても、確保できないのである。
体のあちこちにガタがきて、痛むやら、冷えるやら、なんやらで、さらに、「欲」と言ったら、ほぼ全体的に低下していて、死ぬまで残ると言われている欲である食欲すら、もはや「補給」という意味合いに、成り下がっている。
私は、以前は、食い意地の張っているほうだったのに、どういうわけか、食べ物は、なんでもよくなってしまった。
あんなに食べ物にこだわって、「○○のアップルパイは、やっぱり最高だ」とか、「○○のケーキは、最高だ」と思って、無理をしてでも、買い求めていたのは、いったい、なんだったのかと、思う。
人が変わったようになったというか…だから、若いときに、40を過ぎた上司の女性たちが、食べ物がどうでもよくなったと言っているのを、「へー」と思って聞いていたころは、遠い昔である。

例外の人

が、思い起こせば、中には、例外の人というのも、いて、その人は、丸々と太った人だった。
食べるのが大好きだということは、言われなくても、わかった。
当時は、たぶん、50くらいだったと思うが、みんなでランチに行ったときに、セットが運ばれてきたら、本当に嬉しそうに、食べ始めて、あっという間に、誰よりも先に食べ終わって、のろくさと食べている他人を、手持無沙汰そうに、眺めているのだった。
誰かが、「これは要らない」なんて言うと、間違いなく、もらって食べていた。
ああいうふうに、食べることが喜びならば、とりあえずは、健康ということだし、生命力が強いということで、たぶん、今でも、元気で、嬉しそうに食べているんじゃないのかなあと、思う。
まあ、人間、胃腸が丈夫だと、一生トクをするという、よい見本なのではないだろうか。

消える前のぼぼっ?

ともかく、熟年で不倫に燃えるような余裕のある人たちは、生物として、もともと強いわけだろう。
だいたいの話が、中年になってからの恋愛というのは、「一度来た道」である。
ぜんぶ、体験済み、なわけで、新味というものは、別に、ないわけだ。
それが、「相手が別の人である」というだけで、まるで、中学生の乙女が、初恋に燃えているかのように、ガチンコになってしまうというのは、なんかまあ、いくぶんかは「演じている」んじゃないのかな、という気は、しなくもない。
「もう一度、そんな自分も、いいかな」みたいな。
蝋燭の灯というのは、消える前に、ぼぼっと明るく燃えるとかいうが、だからなんとなく、そういう感じも、しなくもないけど、まあ、他人に迷惑をかけない範囲なら、誰かが、「消える前のぼぼっ」をやっていても、私には、関係のない話なのだが。