脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

バブル時代の正しい解釈について

バブリーダンスって

私は紅白を見ないので、知らなかったが、バブリーダンスというのが、あったらしい。

郷ひろみは、どうでもいいのだが。
バブリーダンス動画↓

なるほど、バブルというのは、「テンションだ」という、そういう解釈なのか。

バブルに憧れって


私は、もちろん、リアルタイムでバブルを経験した世代だが、バブルファッションというのは、アレは、「人には優しくない」というシロモノだった、という。
「基本的に無理をしてる」という。
無理をするのが、バブルっぽい感じだった、というか。
あのころのファッションというのは、なんにつけてもそうだけど、「無理をしたり、がまんをしないと参加できない」という、ものだったわけ。
「不自然」を、みんなでやることによって、普通にやっているように見せる、みたいな。
女の子の髪型だって、そうだし、服装だって、そう。
髪の毛が長ければ、手入れが大変だし、ソバージュなんてものは、もともとの日本人の髪質に逆らったスタイル、なわけだから。
当時は、みんな、真っ黒で、茶髪ではなかったから、それで、ウェーブがかかっているということは、もっと不自然なわけ笑。
眉毛くっきり、これも、そう。
ミニスカートとか、ヒールのパンプスとか、本当に、ラクじゃないわけ。
肉色パンストとかも、そう。タイツと違って、薄いから、寒いし、すぐ破れるじゃん。
強力肩パッドとかも、そう。なんやねん、と。
もともとの話が、日本の女は、撫で肩が多いのに、どうしてわざわざ、誰も彼もが、イカリ肩になりたいなどと、思ったのか。

そこそこお金もできたし、そろそろ白人になれるかも

ざっくり言ってしまうと、気持ちとしては、「そろそろ、私たちも、白人になれるんじゃないか」と、思ったんだろうな。
それが、バブルファッションの本質。
そういう、「とにかくラクじゃない」とか、「無理をしてる」というのが、当時のファッションであって、男子も、たぶん、そうだっただろうと、思うけど、もちろん、女子のほうが、ぜんぜん大変だった。
だから、「どこまでやるか」というのは、個人差があったし、激しくやっている人のことは、「がんばってるな」とか、「よくやるな」とか、「大変だな」と、思ってた。
東京に住んでた友達は、マハラジャに行ってみたという話だったけど、安倍昭恵のように、VIPルームなどには、入れるわけはないから、普通に、雰囲気だけを味わってきたらしかった。


そういう「不自然全開の時代」のあとには、その反動として、「ラクな方向性」へと、どどっと振れて、だから、バブル以後の若い子たちには、「無理をしない」という特徴が、強く見られた、のである。

お金が人の心を豊かにした

バブルの一番の特徴というのは、実は「そろそろ白人になれるんじゃないかと思った勘違いファッション」ではなく、「全体的に、なんとなく余裕がある社会の雰囲気」、だったのである。
都内に行けば、高級車が、いくらでも走っていたし、それを売る店も、いっぱいあった。
誰が買うんだろうと、思ったけど、誰か、買う人が、いたわけだ。
都内に限らず、あちこちに、新しい店ができたり、どうやって儲けているんだろうと心配になるような寂しい場所に、賑々しい店やホテルが、できていたり、そういうのが、バブルな雰囲気だったのである。
バブルというのは、具体的な「モノ」で潤った時代というよりは、「モノが得られるという期待感」が、人の心に余裕を与えていたことによって、ギスギスしなかった時代、なのである。
だから、お金が人の心を豊かにした時代、というのが、私の評価であり、感想だ。