脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

ギルド化した市民運動の「本当の功績」とは

隠され続ける内ゲバリンチ事件

大手メディアが報じない「市民運動内ゲバリンチ事件」の内幕というのが、上の記事内の「説明テンプレ」というのを見ると、ものすごくよくわかる。
この事件は、現在、民事裁判が進行中なのだが、公判の内容というのは、傍聴に行かなかった人には、はっきりわからないわけだが、この「説明テンプレ」を見れば、「何が起こったのか」は、一目瞭然で、ああ、そうだったのか、というふうに、いろんな不可解なことが、いっぺんに明瞭になったような気がする。
そういう流れの中で、↓のようなことが、次々に起きていた、というわけだったのか。

談合ギルド化した市民運動

「市民運動」のはずだったのに、どうしてこんなに、金くさい話や、訴訟の話ばかりが、出てくるのか、意味不明である。
日本の市民運動というのは、当面は、「死んだ」というふうに言うべきで、復活するには、「現在仕切っている人たち」が、ほとんど退場するまで、待たねばならないから、時間がかかるだろう。
反原発でも、反戦でも、人権でも、市民運動というのは、誰もが「ノー」を言うために、普通に参加ができなければならないが、こういうふうなギルド状態になってしまったら、誰もが気軽に参加できるなんてことは、ぜんぜんないわけである。
特定の「仕切っている人たち」に挨拶をしたり、言うことを聞いたり、「ムラの掟」に従ったり、「掟を破った誰か」を村八分にしなければ、「原発ノー」とか「戦争ノー」とか「差別ノー」と言えない、というなら、誰だって、何もしないで、黙っているほうがいいと思うに、決まっているよ。
当たり前じゃん。
どうして、そんな面倒くさい、剣呑なことをしてまで、「市民運動」をやらなければならないのだ。
そんなことなら、誰とも共闘せず、自分ひとりで、細々と、勝手に言っているだけで、満足するしかないよ、そんな面倒なことになるくらいなら。

彼らの本当の功績

だから、現状で、界隈を仕切っている人たちは、「一般人を市民運動に参加させないように、遠ざけた」という意味合いにおける「負の功績」では、表彰ものであるということは、間違いない。
「原発は嫌だ」とか、「戦争は嫌だ」とか、「差別はよくない」とか、「安保はおかしい」とか、「そのせいで、沖縄を犠牲にし続けたくない」という、「普通のこと」を、「普通に思っている人たち」は、それなりに、いると思うけど、とにかく今は、こういう状態で、異様に剣呑だから、みんな、遠巻きにするようになって、くわばらくわばらと、思っているんだよ。
だから、結果的には、安倍政権と、それを操縦しているアメリカ政府を利したというふうに言えるわけで、それが「偶発的なもの」なのか、「織り込み済み」のものだったのかは、私は、知らない。