脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

身なりに構わない~老いと見栄~

どう見えていても、あまり関係なくなる

他人からどう見えているかを気にしなくなってから、何年たったのか、よくわからない。
たぶん…40歳までは、けっこう気にしていたんじゃないかと思う。


30代のころだったと思うが、地下鉄に乗っていたら、向かいの席のおばあさんのズボンの下から、モモヒキが見えていた。
…そのときは、そういうのを不思議に思っていたので、どうして平気なんだろうと、思ったものだった。
今は、わかるな。
そういうものは、二の次になって、だんだんと、どうでもよくなるのだ。

無駄毛

無駄毛の処理に一所懸命になっていたのは、いつまでだったか、覚えていないが、ああいうのも、そのうち、どうでもよくなるのだ。
若いうちは、無駄毛の処理をしながら、「いったいこれを、いつまで続けなければならないのか」と思って、げんなりしたものである。
二の腕の無駄毛を脱色して、気分がよくなっていたことも、今になれば、不思議なものである。
私は、体毛が濃いほうなので、若いころに、永久脱毛をしようとして、けっこうなお金を払ったことがあったが、ちょっと通って、やめてしまった。
結局、効果などは、まったくなかったな。
作家の山本文緒なども、体毛が濃いことをコンプレックスに思っていて、売れてから脱毛に通って、念願を果たしたらしいが、それで、彼女が、少しは幸せになれていれば、いいと思う。
まあ、棺桶に入るときには、体毛などは、まったく関係はなくなっていることは、間違いない。
さらに、棺桶に入るずっと前から、「体毛が無関係になっている」ということも、間違いないと思うなあ。

化粧

このごろは、最低限のUV対策をする以外には、ほぼ、化粧はしなくなった。
UV対策も、本当は面倒だから、したくないのだが、これを完全にやめてしまうと、今以上にシミが増えて、ひどいことになると思うので、もう少しは、続けるだろう。
日本の女性は、世界でも、特に、顔面のUV対策に励んでいるということらしいのだが、まあ言ってみれば、もともとちょっと黒ければ、こんなことをする必要もないので、かなりラクだったんじゃないのかなあという気はする。
その場合には、無駄毛なんかも、目立たないから、よかったんじゃないかと…そういうのもあるなあ。考えてみれば。

衣服の本来の目的とは

着るもの、これは、「長持ちするかどうか」が、基準になってくる。
だから普通は、白っぽいもののほうが、いいわけだ。
どうしてかというと、濃い色の衣服は、洗ったり干したりすればするほど、色がくすんできて、「着古した感」がどんどん進むが、白っぽいものは、そうではないから、長く着られるからである。
あとは、それほど流行に左右されないもので、いつまでも平然と着られるようなもの。
そういうものほど、「よい衣服」である。
そして、「軽い」ものほど、いい。
皮のコートだとか、ああいうものは、カッコいいけれども、羽毛と比べたら、恐ろしく重いし、年を取ったら着てはいられない。
ウールだって、羽毛と比べたら、決して軽くはない。
「洗濯機で気軽に洗えるかどうか」も、重要である。
そういえば、若いころは、洗濯機で洗えないものを平気で買っていて、季節ごとに、ものすごいクリーニング代を払って、それが普通だと思っていたが、考えてみると、バカバカしい話である。
衣服などというのは、「本来の目的」が果たせて、管理がラクであればあるほど、「優秀」なのに決まっているではないか。
金をドブに捨てたような気がするな。
しかし、人生で、これまでに、どれだけの金を無駄に使ったかということを、まじめに考えると、精神的によくないので、やめようと思う。