脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

終末論が流行った理由

ものごころついたら、「終末だらけ」だった

私が子供のころは、終末論が全盛だった。
五島勉が大売れしていたし、子供が見るようなマンガ雑誌に、恐ろしい終末の世界が描かれていたりして、本気で恐怖に震えた記憶がある。
そういえば、楳図かずおの「漂流教室」とか、ああいうのは、子供には、本当に恐ろしかったものである。

どっちを見ても、おどろおどろしかったし、そういうものがいっぱいあったな。
どうして、ああいう世の中だったのか。
それはまあ、「そこそこいい世の中になっていたから」、であろう。
そういうときには、そういうのが出てくるんじゃないのかな。
そもそもの話が、「本当に滅びそうな時」というのは、「滅ぶかも」と言って騒いだり、終末の世を描いて見せたりしても、流行るわけがないのである。
例えばだが、今のシリアやイラクで、そういう「終末関係コンテンツ」が、流行っているかと言ったら、流行っていないはずだし、流行らせようとしても、無理だろう。
それは、現実的に、滅びそうになっているからだ。
「現実」が、鬼気迫るものであるならば、わざわざ、仮想世界でもって、そういうものを提供してもらう必要はない、需要がない、ということである。
間に合ってます、と。
だから、そういうものが、やたらに流行るという世の中が、「そこそこうまく行ってた」んだと、思うんだな。
幽霊関係とかも、同じ。
シリアやイラクのように、戦争で人がゴロゴロ死んでいれば、「幽霊関係のコンテンツを消費したい」などという「需要」が、あるわけがない。

終末論耐性

オウム真理教なんかは、終末論をウリにして、信者を集めていたわけだが、あれが、イマイチ拡大しなかったのには、そもそも、当時は「終末論耐性」のある人が、多かったからではないかという気がしたりする。
80年代終わりから、90年代半ばまでの間であれば、「滅ぶぞ」と言われて、「またかよ」と思わない人のほうが、稀だったはずだと、思うのだ。

1999年

とにかく、私の子供のころというのは、そういうのが普通にあったし、1999年で世界が滅びると信じている人も、けっこういたと思う。
なので、1999年には、自分は何歳だなあとか、その年齢で死ぬのかとか、小学生のうちから、そんなことを考えていたものだ。
しかし、1999年には、何も起こらず、そして、だから、「アレは、全部ウソでしたね」と、誰かが宣言をしてくれるのかなとか、みんなで総括をするのかなと思ったら、そういうことは、なかった。
命拾いをしたような気持ちになって、感謝をしている人とかも、いなかったような気がする。

元祖は日蓮

「そういうのの元祖」は、日蓮で、彼は、「滅ぶぞ滅ぶぞ」と言っていたが、それが実現しなかったら、「間違いでした」とは、言わなかったようである。
「滅びなかったのは、こういう理由である」と言って、説明をしたりも、しなかったようだ。
「元祖の人」が、そういうふうだったのだから、今でも「そう」なのは、考えてみれば、普通なのかもしれないんだな。