脱力日記

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

2017年8月に書かれた記事

未来は霧の中に

失った「家族の団欒」 母と普通の会話ができなくなってから、何年も経つ。 もともとが、あんまり聞こえるほうの人ではなかったが、70を過ぎてから、劇的に聞こえなくなって、たぶん、状態としては、聴覚障害者の範疇だろうと思う。 片方の耳は、まったく聞こえない。 補聴器をつけても、そんなに変わるわけではなくて、多少はいいという程度で、さらに、出かけるときしか、つけたがらない。 インターホンの音が聞こえなく…

私に会えなかった弟

あの子がいたら 私には、弟がいたかもしれないのだが、生きては生まれてこなかった。 この年になると、弟がいたらよかったのになあと、思う。 どうしてそういうことになってしまったのか、今でもわからないが、そういう運命だったのだ。 ある日、家に帰ったら、母親がいなくて、代わりに父親がいて、母親が入院しているから、しばらくは、母親なしで過ごすのだ、と言った。 えっそれは、困ったな、と思った。 たぶん、父親…

健全な中学時代の至福の時間

至福の時間 中学のときの、最大の楽しみと言えば、放課後に、仲間で甘いものを食べに行くことだった。 私たちは、だらだらとおしゃべりをしながら、30分以上歩いて、繁華街まで行き、サーティワンアイスクリームか、クレープの、どちらかを食べていた。 サーティワン 私は、アイスは、だいたいダブルで食べていたような気がするが、気分によって、コーンにしたり、カップで食べていたこともあった。 トリプルというのは、…

カイワレ先生の思い出

倫理の講師は、高校生が大嫌い 高校の時に、倫理を教えに来ていた講師の先生がいた。 その先生は、倫理の時間しか来なくて、普段は学校にいなくて、要するにパートだった。 ほかにも、社会科の先生はいたので、高校生向けの倫理くらいは、教えられないことはなかったと思うのだが、どうして、倫理に外部講師を呼ぶことになったんだか、よくわからない。 だが、そういうことになったということは、やっぱり、先生たちのやりく…

私はモンスターペアレントになっていただろうか

あのころの「テキトー教育」の産物である「私」 今思えば、の話だが、私の小中学生時代というのは、かなり、滅茶苦茶な教育をされていたような気もする。 大日本帝国陸軍的な、スパルタ教育が全盛の時代だったのではないかと、思う。 そういうのは、後になって初めてわかるものであって、どうしてわかるかというと、「最近は、そうではなくなったらしいから」、である。 モンスターペアレントというのは、私のように、軍国主…

不健康な生物の先生は、どうなったのだろうか

不健康な生物の先生 高校の時の生物の先生は、かなり変わった人だった。 授業は適当にやって、あとは真顔でボケていた。 だから、生徒たちは、生物にはいっこうに詳しくはならなかったが、けっこう退屈しなかった。 それでも、親たちが目くじらを立てて、「ちゃんと教えろ」などと、文句を言うということはなかったから、つくづく、いい時代だったのだなあと思う。 その先生は、I先生といって、意図的に不健康法を実践して…

八つ墓村から逃げ出したK先生を襲った恐怖

八つ墓村から逃げ出した先生 高校の時の国語の先生は、とても珍しい名前だった。 が、故郷に帰れば、そういう名前の家ばかりなのだという。 鹿児島の田舎から出てきたということだったが、K先生は、故郷の田舎が、嫌で嫌で仕方がなかったから、逃げ出したのだと言った。 見た目は、俳優のビンセント・ドノフリオみたいな感じ、だったと思う。 が、実際には、順番は逆であって、ドノフリオを見たときに、「あっ、なんとなく…

ああ老眼

老眼が来た 老眼というのは、こんなに急激に進むものだったのかと、驚いている。 2年くらい前には読めていたものが、もう読めない。 たぶん、ここ1年くらいで、急激に進んだのだと思う。 なんらかの製品の使用方法とか、禁止事項なんかもそうだし、特に、食品の保存方法とか、期限というのは、命にかかわるから、けっこう、生存の危機を感じる。 損をしたような気がするとき 美容院や、病院で、雑誌を読むのに苦労する。…

つまらない夏

夏がつまらなくなった 年をとるというのは、夏がつまらなくなるということだったんだな、と思う。 もともとの話が、蒸し暑い日本の夏が、そんなに楽しいわけがないのだが、この年になるまでは、つらいはずの夏でも、それなりの「楽しみ」というものは、あったかもしれない。 自分というお人形さんで遊んでいたころ 今思えば、夏が「ちょっとでもいいな」と思ったのは、ほぼ、30代までだったと思うが、どうしてかと言ったら…

恐怖の記憶はウソつき(かもしれない)

記憶はウソつきである ものごころがつくかつかないかのときに体験した「何か」が原因で、漠然と残っている恐怖の記憶、そういうものは、いくつかある。 が、ヒトの記憶というのは、ウソつきなので、どこからどこまでが、本当の記憶で構成されているもので、どの程度が「あとで話を聞いて、勝手に脚色をしたもの」なのかは、自分でもわからない。 階段 赤ん坊のころに、アパートの外階段から転げ落ちたことがあったらしいのだ…

蝉の声が嫌いな理由

ふるさとがわからない なにしろ、うちの親というのは、流れ者で、故郷に定住するということをせず、西の方から、東へ東へと、移動を続けてきたのである。 だから、自分の「ふるさと」って、いったいどこなのかなあと思うが、やっぱり、幼稚園の年長から、小学校の大部分を過ごした、都内のあそこらへんではないのかなあ、という結論になる。 「それ以外の場所」に住んでいた期間のほうが、長いと言えば長いのであるが、人間と…

一期一会のチャイティーの思い出

二度と会うことのない誰か 半世紀も生きると、「一期一会」という言葉の意味が、じわじわとわかってくるようになる。 人生のある時点で、たまたますれ違って、何かを共有し、別々の方向へ歩き去って、二度と会うことのない人たち。 なのに、なぜか、「自分という映画」の鮮明な一コマとして、記録されている、そういう人たち。 四半世紀前の東京で あの人は、どうしているかなあと、ふと思う。 元気でいてくれるといいな。…

酒がなければ生きられなかったあの人

何に負けたのか 私が出会ったころ、その人は、押しも押されもせぬ、職場の落ちこぼれだった。 そのころ、その人は、40代前半で、もちろん、独身だった。 彼がいることで、みんなが迷惑をしていたが、なんとかやりくりをして、年上の彼のメンツをあまり潰さないように気を使っている、そういう関係だった。 あの人がいなくなったら、どんなにラクだろうということは、みんなが考えていた。 上司は、何度も個人面談をやって…

彼岸のあの人

あの人は今 私が本当に若いころ、ピチピチしていたころの話だが、よく飲みに行っていた仲間の中に、「ちょっと侘しい感じ」の、一回り上の男性がいた。 一回り上の男性は、その人だけではなかったが、とにかく、その人は、若くして亡くなった人のうちの一人である。 普通にもてなかったあの人 見た目は、エルヴィス・コステロにそっくりだった。 そういえば、私は、エルヴィス・コステロなんて知らなかったけれど、エルヴィ…

「向こう側」に行った知り合いたち

頓死した人たち なぜかわからないが、私には、若くして鬼籍に入った人たちが、知り合いにけっこういる。 あの人たちは、いったいどうしているのかなあ、などと思う。 親しく話をした相手が、「いなくなってしまった」ということが、どうにも実感がわかないのである。 相手のお葬式に行っても、お墓に行っても、まだ、よくわからないのだ。 「あの人は、亡くなったんだ」と思っているのだが、同時に、「あの人と話をしたいん…

ヒトの体の耐用年数は、だいたい50年

人体は、どれくらいもつようにデザインされているのか 無機物に耐用年数があるように、ヒトの体も、「耐用年数だいたい何年」というふうに設計されているんじゃないかな、と思う。 もちろん、大事に使えば、耐用年数以上に使えるし、逆も真なり。 それにしても、100まで生きると宣言し、そのために、酸素ベッドまで使用していたマイケル・ジャクソンのような人が、半分くらいしか生きられなかったというのは、皮肉なことだ…